燈火(Tomoshibi) ― 世界に問う7つの価値観
ここに掲げる価値観は、現代社会において「非効率」「非合理」「時代遅れ」として、合理主義のロジックによって切り捨てられてきたものたちである。
矛盾を抱え込むこと。
悲哀を弱さではなく、心の潤いとして引き受けること。
合理性よりも、気概や心意気に賭けること。
ひとつの理想に固執せず、可能性に身を開き続けること。
これらは、成功のための価値観ではない。
社会をうまく生き抜くための処世術でもない。
むしろ、現代の「常識」や「正しさ」とは、しばしば衝突する。
persophy は、これらの価値観を積極的に肯定する。
それは、人間の魅力や深みが、
役に立つかどうかとは無関係な場所から立ち上がると知っているからだ。
価値観の本質は、正しい進路を示す羅針盤ではない。
人が迷い、揺れることを生の厚みとして引き受け、急がされる思考を立ち止まらせ、
安易な結論から距離を取るための知恵である。
ここに掲げた7つの価値観は、その一部に過ぎない。
1.悲哀はネガティヴではない――それは潤いであり優しさである
この世界では、悲しみや哀しさは、すぐに「乗り越えるべきもの」「排除すべきもの」として扱われることが多い。
だが、悲哀とは本来、人間が世界を深く感じ取っている証である。
傷つくことができる心、失われたものを悼む感受性、どうしようもない現実を前に立ち尽くす時間。それは、他者への優しさがみずからの心に育っているということにほかならない。
persophy は、悲哀をこころの潤いとしてあつかう。かけがえのない情緒として尊重する。
2.世界観が変われば、心は一瞬で変わる――人は説得ではなく、視座によって変容する
人は、正論を突きつけられて変わるのではない。
価値観が変わるのは、世界を見る視座を切り替えたときだ。
同じ現実を前にしても、どの座標から眺めるかによって、意味も感情もまったく異なる。
persophy が物語のなかに数多くの世界観を用意したのは、読者の内側に「みずから別の世界へワープすること」を提案するためである。
世界観が変わるとき、思考は自然に組み替わり、心もようは静かに変化する。
3.心は対処よりも予防――予防することでダメージが激減する
現代社会は、問題が起きてからの「対処」には熱心だ。
だが、心の領域において本当に重要なのは、起きる前に予防接種が行われていたかどうかである。
「死」、「性」、大人が語ることを避けてきたこれらの主題は、語られなかったがゆえに、歪んだかたちで子どもたちを苦しめてきた側面がある。
persophy は、答えを与えない。ただ、「考える場所」を先に用意する。
心は、準備されていた問いと熟考によって、未来にそのことが起きた際、静かに守られる。
4.可能性に開かれていること――硬くならない秘訣
人は、定義されることで安心する。固定すれば思考するエネルギーを使わずに済む。固定された瞬間から、可能性は閉じていく。
persophy は、「可能性主義」によって新しい地平を開く。
未完成であり続けることそのものを、優れた価値として評価する。
可能性に開かれている限り、思考は硬直せず柔軟性を保ち、心はしなやかであり続ける。
あらゆる可能性を考慮に入れることで、「私にはわからない」感覚が生まれる。それ自体がその人の、人間としての伸びしろになる。
5.矛盾を、矛盾のまま抱える――整合性に拘泥しない
現代は、即答と結論を求める時代だ。だが、人間の内面は、そんなに整然とはしていない。愛しながら憎み、信じながら疑い、望みながら恐れる。それが、人間の自然な姿だ。
persophy は、矛盾を欠陥とは考えない。
矛盾とは、新しい価値が生まれるための余白であり、思考と感情が呼吸するための空間である。
矛盾を急いで解消しないこと。むしろ矛盾を積極的に歓迎すること。
それは、思考を深くし、心を自由にする。
6.気概・心意気・義憤を取り戻す――冷めた合理性には人としての魅力がない
合理性は便利だ。
しかし、しらけている。のっぺりとしている。
理屈では説明できない怒りや、損得を超えて湧き上がる義憤。
理由は分からないが、どうしても譲れない感覚。
persophy は、そうした内側から立ち上がる情熱の力を最高に評価する。
気概や心意気、義憤で使命感に燃える人に、人間的魅力を感じないことはない。モノトーンのしらけた世相に、真っ赤な血の情熱の価値を問う。
7.人生美学の価値とは何か――何を心の礎にするか
善悪は社会の軸であり、損得は経済の軸である。
他方、人生美学は個人の軸である。
どう生きたいか。どんな姿を、美しいと感じるのか。
persophy が重んじるのは、生きかたに宿る、美学である。
それは他者に押し付けるものでも啓蒙しようとするものでもない。唯一無二の存在である自分のアイデンティティを支える、きわめて個人的な規範だ。
美学を持つことは、世界に対する態度を持つこと。
そして、自分の人生が、矜恃を中心に回ることである。