希 ―― vision


『希み(Nozomi)』――ビジョン

時空を超える「精神のインフラ」構想

このビジョンは、数値目標やスケジュールの羅列ではない。
「物語」という種が、いかにして芽吹き、森となり、やがて文明の礎(いしずえ)となっていくのかを描いた、未来への希望の道である。

しかしこれは完成図ではない。
どのような形になるか、作者自身にも最後までは分からない。

「物語」という種は、思いがけない場所で芽吹き、歪み、枯れ、それでもなお、別の場所で根を張ってしまう。
このビジョンは、その過程そのものを、遠望として描いたものである。

私はこの創造を、単なるコンテンツ制作ではなく、《数千年を生き抜く「精神のインフラ事業」》として定義している。

精神のインフラとは、人々が生きる意味を自分自身で問い直し、それぞれの言葉で世界を理解し直すための、目に見えないが確かに必要な基盤のことである。

以下に語るのは、そのインフラが、どのようにして人々の力によって築かれていったのかを、未来から振り返る「物語」である。

 

Vision|未完の森の物語

それは、ひとつの小さな物語から始まった。
誰かがどこかで書いた、名もなき連載小説だった。

それは思想書でも、理論書でもなかった。
答えを教えるための物語ではなく、読む者の内側に「問い」を残すための物語だった。

物語は、静かに公開され続けた。
反応を急がず、評価を求めず、ただ書かれ、語られ、置かれていった。

数年が経つ頃、その物語に触れた人々の中に、目に見えない変化が生まれ始めた。

感想を書く者が現れ、自分自身の体験を重ねて語る者が現れ、物語に触発され、新たな物語を書き始める者が現れた。

やがて、それはひとりの創作ではなくなった。
物語は複数形になり、文章、映像、音声、対話、沈黙として、さまざまなかたちで共有されていった。

そこには、明確な組織も、指導者も存在しなかった。
あるのは、「人間とは何かを、自分自身の言葉で問い続けたい」という共通の姿勢だけだった。

時が流れ、最初の物語を書いた人物は、やがて前面から姿を消した。

しかし、創造は止まらなかった。

物語は固定されず、正典にもならず、繰り返し書き換えられ、壊され、別の物語の芽となっていった。

100年後。
起点となった物語の全文を知る者は、ほとんどいなかった。

それでもなお、問いを急がないこと。
完成を目指さないこと。
自分の感覚と言葉を信じること。
――そうした姿勢だけは、確かに生き続けていた。

500年後。
それは文化とも呼べない、しかし確かな営みとして、
さまざまな場所に根を下ろしていた。

1000年後。
それが誰によって始められたのかを特定することは、もはや不可能だった。

それでも人々は理解していた。
これは思想ではない。
理論でも、遺産でもない。
人間が、人間であろうとする営みの中から生まれ続けた、生きた樹木なのだと。

5000年後。
その樹木は、無数の枝を持ち、折れ、絡まり、再生を繰り返しながら、いくつもの文明の足元で、静かに根を張っていた。

こうして、かつて「精神のインフラ」と呼ばれたものは、計画や制度としてではなく、人々の営みの中で育ち続ける豊かな森となった。

そこには、一本の正しい道も、唯一の中心も存在しない。
それぞれの時代、それぞれの個が、それぞれの場所から森に入り、自分だけの空を見上げていた。

それは完成しなかった。
完成する必要がなかった。

この創造は、一つの答えを未来に残すための事業ではない。

人々が、それぞれの時代で、それぞれの問いを生きるための、
精神のインフラを敷設し続ける試みだったのである。

 

別章|種と土だけだった頃の記憶

この壮大な連鎖は、最初から意図されたものではなかった。
だが、初期の数年間には、いくつかの明確な実践が存在していた。

 

1. 物語を「問いの装置」として公開する

最初に行われたのは、完成された作品を提示することではなく、思考を誘発する連載小説を、継続的に公開することだった。
そこでは、善悪や結論を断定せず、読者が自分自身の経験や感情を重ねられる余白が意図的に残された。

 

2. 映像・音声による多層的な表現

物語は、文章だけに留まらなかった。
映像、音声、語りとして再構成され、異なる感覚経路から人々の内側に届くよう設計された。

これは「理解」を促すためではなく、感覚と思考を同時に揺らすためだった。

 

3. 共鳴した人々が集う〈場〉の創出

作品に触れた人々が、感想や問いを安心して置ける場が用意された。
そこでは、評価や優劣よりも、「どのように感じ、何を考えたか」が尊重された。

この場はやがて、リアルな集いへ、そしてネット空間上の仮想的な集会所へと広がっていった。

 

4. 作者より優れた創造者が現れることを歓迎する

このプロジェクトにおいて、作者が中心であり続けることは目的ではなかった。
むしろ、より深く問い、より豊かな物語を紡ぐ人々が現れ、それぞれの創作を始めることこそが望まれていた。

最初の5年は、そのための「土壌づくり」にすぎなかった。